徳川家紋「逆さ葵の謎」 2


 ―それから二時間後― 
 「ただいま。ああ~ 暑い!暑い! 汗びっしょりだ」
 「お疲れさん」
 「何か冷たいものはないかな」
 大沢は返事もそこそこに冷蔵庫へ向かった。
 「おお、アイスクリームだ!」
 「大沢くん、やめてよ。それ、私のよ!」
 のり子はデスクから身を乗り出しながら大声をあげた。
 「いいじゃないですか、資料をたくさん集めてきたんですよ」
 「そう。ま、いいか」
 のり子は仕方ないというようにイスに腰をかけた。
 「大沢さん、いいの見つかった?」
 こずえも興味深げに聞いた。
 「そりゃあ、そうですよ」
 大沢はアイスクリームを口にほおばりながら応えた。
 「それは楽しみだ」
 加納も笑顔で言うとパイプ煙草(たばこ)の煙を吐いた。
 「それで・・・どうだったのよ?」
 「のり子さんも、せっかちですね」
 「じらさないで早く言いなさいよ」
 のり子は少々きつい口調で言った。
 「はい はい、分かりました。話しますよ」
 ―大沢の話によると―
 
 小樽市の能楽堂というのは、佐渡出身の荒物雑貨商であり市議会議長でもあった岡崎謙氏が入舟町の私邸内に現在の価格で一億七千万円をかけて建てたものだが、能舞台の仕様は江戸幕府によって定められ、鏡板の松の絵は狩野派の筆によることが原則とされており、ここでも鏡板の(松)、切戸口の(竹)、揚幕部板戸の(唐獅子)は狩野派第十七代の狩野(かのう)秉信(もちのぶ)氏が二ヶ月滞在して描き上げたもので、このように岡崎家の能舞台はこれらの格式を整えたものなのです。
 そして、能舞台の完成後には(昭和三年に高松宮妃、昭和六年には貴族院議長徳川家達や宝生流第十七世宗家・宝生重英)など、たくさんの賓客を迎え催事を行っており昭和二十四年には幽玄能の世界では不世出と云われた名人の野口兼資もこの舞台で〈松岡〉を舞っているのです。昭和二十九年岡崎氏の死後に彼の意志によって小樽市に寄贈されて昭和三十六年公会堂の移築と同時に現在地に再建されたものである。
 「大沢くん、能楽堂については良く分かったけど・・・」
 「はい?」
 「逆さ葵について何か新しい発見があったの」
 「ええ・・・まあ・・・」
 「なによ、はっきりしないわね」
 「つまりですね、あの能楽堂を寄贈したのは岡崎(・・)謙という人なんですが・・・」
 「分かってるわ」
 のり子は、つっけんどに言った。
 「それで・・・徳川家康の誕生したところが名古屋の東部の岡崎(・・)市・・です」
 大沢の声は段々と小さくなった。
 「・・・・・」
 「そして、岡崎謙さんとこの家紋なんですが三つ柏紋で三つ葉葵に似ていませんか?」
 「ふ~ん、それが逆さ葵と何か関係があるの?」
 のり子はまたもや、ぶっきらぼうに言った。
 「大沢さん、それだけですか?」
 こずえもじれったそうに訊(き)いた。窓際のデスクでは加納がにこやかに、そのやりとりを聞いていて大沢に質問した―
 「ところで、さっき岡崎氏の出身は佐渡と言ってましたよね」
 「は、はい。そうです」
 「・・・・」
 「先生、何か分かったのですか?」
 みんなの目が加納に向けられた。
 「いや、佐渡といえば世阿弥(ぜあみ)が流された所なのです」
 「能の大成者といわれた?」
 「そうです。永楽六年(一四三四)、世阿弥が七十二歳の時に足利義教の理由(ゆえ)なき怒りのため佐渡へ流されたのです」
 「へえ~、そうだったのですか」
 大沢は感心したように相槌をいれた。
 「その他にも、佐渡奉行でありながら能楽師の出身者もいました」
 「ふ~ん」
 「名前は、確か・・・大久保石見守長安という人で、彼が能楽を奨励したことも影響していますからね」
 「だから、佐渡は能楽が盛んなのですか・・・」
 のり子は納得したのか何度もうなづいた。
 ―更に加納は説明を加えた―
 一般的に佐渡は政争に敗れた貴族や知識人たちが京より流されてきたことや西回りの航路が開かれてからは西日本と北陸の文化が運ばれ、そこから流人たちがもたらした貴族文化、奉行や役人たちが江戸から持ち込んだ武家文化、そして商人などが運んできた町人文化の三つが渾然一体となって佐渡の文化を築き上げたといえるのです。
 また、佐渡金山の発見により徳川家康が幕府の天領として開発を進めたところから最盛期の十七世紀初めには世界一と言われるほどの産出量を誇ったのです。
 「岡崎謙氏が能楽堂を造ったというのも、そういう影響からでしょうか」
 「恐らくそうでしょう」
 「そういえば、さっき岡崎家の家紋が三つ柏紋だと・・・」
 「はい、言いました」
 大沢は元気よく応えた。
 「柏の葉というのは古代から大切にされ、葉を器とした他に神事としても用いられたのです。つまり、御食(みけ)津神(つのかみ)が宿ると信じられ、これにより神官の紋として使用されるようになったのです」
 「そういえば、神社へ行くと柏手(かしわで)を打ちますよね」
 こずえが小さな声でぼそっと言った。
 「さっき先生が水葵の葉を敷き、器のかわりにして酒肴を出したと・・・」
 のり子も思い出したように言った。
 「それに賀茂神社の神紋とされているし」
 さらに大沢も、のり子の言葉に続けた。
 「賀茂神社といえば葵祭りが有名だし、もしかしたら神社つながりで何か関係があるかもしれませんね」
 加納もみんなに同意するように笑いながら返した。
 「それにしても岡崎氏はどうして逆さ葵の紋がついた能装束を持ってたんでしょうか?」
 大沢は首を傾げながらみんなを見た。
 「そうよね、もしかしたら徳川家と何か関係があるのかしら」
 「そもそも、徳川家康を始めとして歴代の将軍が能を好んでいましたからその可能性は十分にあるでしょう」
 加納はそう言うと深く考え込んだ。その時、ドアが開けられ人の声がした―
 「こんにちは」
 「はぁ~い」
 こずえがドアへ出向くと一人の男が立っていた。
 「あら、富田さんじゃありませんか。どうぞ・・・」
 「はい、おじゃまします」
 「書類ならこちらからお届けしましたのに」
 のり子は恐縮しながら言った。
 「いいえ、そこまでついでがありましたから」
 「どうも、すみません」
 「ところでみなさん、お忙しそうで」

つづく