小林多喜二の自筆はがき2通を入手 市立小樽文学館


takmagawa.jpg 市立小樽文学館(色内1)は、11月4日(木)、小樽が生んだプロレタリア作家・小林多喜二氏(1903.10~1933.2)の自筆のはがき2通の寄贈を受けたと発表した。
 小林多喜二は、4歳の頃に小樽に移住し、小樽高等商業学校(現小樽商科大学)に進学。在学中は、文学活動を積極的に展開し、文芸雑誌等に投稿していた。卒業後は、北海道拓殖銀行小樽支店に勤務した。
 1928(昭和3)年に文壇デビュー作「一九二八年三月十五日」を発表し賞賛を得、翌年の1929(昭和4)年に発表した「蟹工船」で、プロレタリア文学の旗手として注目を集めた。デビューから5年後の1933(昭和8)年、当時の特高警察の拷問で、29歳の若さで虐殺された。
 自筆はがきの寄贈は、拓殖銀行の上司と歌人の先輩として2つの接点があった酒勾親幸氏(1895.1~1982.1)の二男・洋二さん(73)から受けた。 2ヶ月前に寄贈したいとの申し出があり、10月27日(水)に、はがき2通とともに多喜二と親幸が写る写真5点、雑誌・歌集12枚の現物が同館に届けられた。
 はがき2通は、いずれも、北海道拓殖銀行東京支店内の親幸宛。1通は、1928(昭和3)年11月24日付で、デビュー作の「一九二八年三月十五 日」が予想以上の賞賛を得たことと、行き詰っていた文学の状況を打破する作品と認められたことを光栄に思っていると綴っている。8歳年上の上司に対してで節度ある文章だが、高揚した多喜二の気持ちが伝わってくる。
 もう1通は、1929(昭和4)年7月17日付で、5月に発表した蟹工船が演劇となって帝国劇場で上演されることを知らせる内容。銀行の上司でも あり歌人の先輩でもある親幸にぜひ観て欲しいという気持ちが伝わるものとなっている。
 同館の玉川薫副館長は、「小林多喜二の意気込みが伝わってくるはがきで、現物が入手出来て嬉しい。当館では若い時と最後のはがきや写真がある。今回寄贈頂いたはがきは生涯のピークの時のもの。近日中には公開したい」と述べた。
 また、はがきとともに寄贈された写真は、拓銀の社員旅行や親睦会の時に記念撮影されたもので、くつろいだ楽しそうな多喜二の様子が映し出されている。「多喜二は、写真を撮る時は格好つけてポーズをとることが多く、大笑いしている写真は、未発表かどうかは分からないが珍しい。多喜二ファンは、多喜二 が拓銀から辞めさせられたので良い感じに思っていないが、こんな楽しそうな表情をしていて上下関係を越えたフランクな感じが伝わる」と解説する。
 写真の中には、北原白秋が、ただ一度だけ小樽を訪れた時のめずらしい写真もある。
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1928(昭和3)年11月24日付
1929(昭和4)年7月17日付