子供の日誌から知る戦時中の小樽 博物館企画展


1.jpg 小樽市総合博物館(手宮1)は、11月27日(土)から、1941(昭和16)年から1942(昭和17)当時の潮見台国民学校6年1組の子供たちがつづった貴重な学級日誌を公開している。
 戦時中の日誌で学級単位でまとまって発表されたものは2例しかなく、公開中の学級日誌「我らの日記」は、「とても貴重なもの」(石川直章学芸員)という。当時の学級担任・下田恵一教諭(1911~2005)の指導で作成されたもので、潮見台在住の長男・修一さんから同館が借用した。
 同館では、寄贈を受けた日誌の原本56枚、複製100枚、子供たちが描いた図画、当時の時代背景を記した年表、写真、資料約120点を展示している。
 日誌には、「今朝、市原先生が日本とアメリカが戦争をした事を話して下さった。こんどこそはほんたうに敵機が何時我等の上空にその姿を現すかも知れない。我々が此時に生れ命はせたことはとても幸福なことであると思ふ」(12月8日)。
 「昨日の午後5時50分遂に香港が降伏しました。開戦わづか18日で無敵我軍のためさしもの香港も降伏をしたのです」(12月26日)。「僕達は音楽室の前に行ってニュースを聞いた。兵隊さんはシンガポールの市街へいったそうである。日本の兵隊さんはものすごく強いなと思った」(2月12日)。
 「今日の一時間目に先生いらっしゃいまして。皇国日本。よい潮見台。よい子。そのはなしおしました。皇国日本といふのわかしこくも。天皇のためによい潮見台ができるのである。よい潮見台ができるとよい子ができるのです」(3月3日)。
 「今日2時間目の遊び時間に先生は『うはぐつに名前をつけてゐないもの手をあげて見ろ』と言はれた時7人も居た。これはこの組にとつてたいへんなさけない事である」(1月23日)。
2.jpg 「スキーと雪なげをしました。スキーのある人はスキーにいきました。スキーのない人は雪でがけの所を雪で積んですべるやうにしました」(1月30日)とつづられている。
 また、「今日は一時間目が終わってから合同慰霊祭に行って来た。午後から勉強をした。体操の時はドッチボールをしたはじめは前列後列とした三度目には男子の勝つた方と女子の勝つたのとした」(8月30日)と、合同慰霊祭そっちのけでドッチボールの話しと絵を描き、下田教諭から「何も考えなかったのかしら」との注意を受けるものも。
 日誌の最後のページは、先生の出征をつづった内容で、6年1組の子供たちの手でつづられた日誌から、日米開戦時を迎えた小樽の姿と同時に、スキーやドッジボールに興じる当時の子供たちの様子の一端を知ることが出来る。
 石川学芸員は、「現在、戦時中のまとまった学級日誌は、小樽市と大津市の2例しか発表されていない。大津市は、昭和20年代の戦後の様子が描かれており、昭和16年の小樽市の日誌と比較すると面白いと思う。今後研究をしたい」としている。