文学館企画展 「違星北斗と口語短歌」開催中


hokuto1.jpg 違星北斗生誕110周年に合わせた企画展「違星北斗と口語短歌」が、11月10日(土)から平成25年1月27日(日)まで、市立小樽文学館(色内1)で始まった。
 違星北斗(1901~1929)は、余市町生まれのアイヌ人、家業の漁師を手伝い、さまざまな出稼ぎ労働に従事。アイヌ民族の意識向上のために活動。俳句などの文芸活動を始める。上京し、金田一京助などに会い、評価や友情を受け、多くの知識を得て帰道後、アイヌの地位向上やアイヌに関わる誤解を解こうと啓蒙活動に尽力。小樽新聞の記者で北海道を代表する口語短歌の歌人並木凡平に認められ、口語短歌集「新短歌時代」に多くの作品が掲載された。
 その処女作「にぎり飯 腰にぶらさげ 出る朝の コタンの空に 鳴く鳶の声」などがある。歌人として知られ、文筆活動、思想家としても優れていると言われた。病気に苦しみながら啓蒙活動を続けるが、満27歳の若さで亡くなった。没後、遺稿集「コタン」が刊行された。
 会場には、違星氏の年譜と遺稿集「コタン」や戦後改訂された本も展示し、数々の口語短歌を紹介している。口語短歌とは、伝統的文語体、けり・かなを尊重し、並木凡平が中心となり、格式や主体、ルールに拘らず、日常使っている言葉を使い、自由に読んでいるものが多い。
hokuto2.jpg 違星氏は、アイヌの差別や理不尽なことで、いろいろな人と交わる中、アイヌの地位向上への気持ちが高まり、歌に読んだものが多い。代表的な歌は、遺稿集に掲載されている。文筆活動の中で、童話、アイヌ伝説について書いたものもある。違星氏が、金田一氏へ宛てた手紙も紹介、昭和3年には、小樽新聞で「疑うべきフゴッペのコタンへの遺跡」を連載。フゴッペで見つかった古代文字らしき壁画や石偶について「アイヌのものである」との意見に対して「アイヌ人は、無駄なものを制作しない。無意味な落書きをしない。いたずらもしない民族である」と反論した記事も興味深い。
 今回の初公開では、違星北斗画「イナウ」と色紙「イナウ」を展示している。昭和43年には、平取町ニ風谷小学校校庭に歌碑を建立。「沙流川は 昨日の雨で 水にごり コタンの昔 囁きつ行く」と「平取に 浴場一つ ほしいもの 金があったら たてたいものを」の2つの歌が書かれている。昭和52年に建立した余市水産博物館前の句碑には、「春浅き 鰊の浦や 雪五尺」。かつてのニシン全盛期の頃の余市を歌に刻まれていることも紹介している。
 玉川薫副館長は、「複雑な思いを、五七五七七の短い歌に良く表現できている。単純な思いではなく、屈辱失望、ある時は、誇らしげ、希望など見事に生かしている。並木凡平は、口語短歌を中心に、小樽、北海道での文芸活動の間口を広げ、こだわりがなく多くの人材を輩出し、アイヌの違星北斗がそのひとりである」と話した。