徳川家紋「逆さ葵の謎」 4


 「開陽丸が日本に到着した翌年には榎本(えのもと)武揚(たけあき)らが蝦夷(えぞ)共(きょう)和国(わこく)を目指し、明治元年には新政府軍と旧幕府軍による戊辰戦争という不穏な情勢であったし・・・」
 「つまり、徳川幕府の権威もそのころには失墜していたという事ですか」
 「そうだね」
 「逆さ葵の燈篭というのは、やはり天海大僧正の意図的なものなんだ・・・」
 大沢はあらためて理解できたのか、何度もうなずいた。
 「とにかく、天海という男は不思議な人物ですからね」
 「ところで、天海大僧正というのはどのような人物だったのですか?」
 「これは、富田さんのほうが詳しいと思いますよ」
 「そっか! 歴史の先生でしたもんね」
 大沢は半(なか)ば冷やかすように言った。
 「ハハハ、やめて下さい。それはもう昔の話ですよ」
 そういいながらも富田はまんざらでもないというように話はじめた―
 ―徳川家康を祀(まつ)っている日光東照宮には二代将軍秀忠と三大将軍家光の名付け親でもある天海大僧正が書いたものがある。この紙は斜めに折り畳(たた)むようになっており、秀忠と家光の名前の一字が現れ、家光の(光)と秀忠の(秀)で、合わせると光秀となり、このことにより天海大僧正こそ、明智(あけち)光秀(みつひで)だとする説もあるのです。
 また、四代将軍家綱と五代将軍綱吉に共通の(綱)という字も明智光秀の父である(光綱)の名前から取ったものだと言われている。天正十年六月に本能寺(ほんのうじ)の変で織田信長の暗殺を企て、成功した明智光秀は十三日に山崎の合戦で豊臣秀吉に敗れ、逃走中に土民の槍(やり)で命を落としたことになっているが、八年後の天正十八年に小田原の陣中で徳川家康と天海が会い、その後は異例の出世をして徳川家に嫡男(ちゃくなん)が生まれると家康は天海大僧正を名付け親とした。それが前述の秀忠と家光である。つまり、明智光秀の二文字が遺(のこ)されているのである。
 「へえ~、それはすごいや」
 大沢が最初に感嘆の声をあげた。
 「明智光秀が天海大僧正だったのですか・・・」
 のり子も驚いたように大沢のあとに続けた。
 「それと・・・日光東照宮の第2いろは坂を上った眺望の良い所が明智平と呼ばれていて、名づけたのが・・・」
 「天海大僧正!」
 大沢は加納の言葉にかぶせるように応えた。
 「その通りです」
 「それで・・・どうして天海大僧正は逆さ葵の紋を燈篭に・・・」
 こずえは納得のいかぬ顔で加納に訊(き)いた。
 「そうでした。話を戻すと、日光東照宮は家康を祀るために造営されたのですが・・・」
 「はい」
 「そこは、地勢と水の流れの吉凶を見て子孫の繁栄をはかるため風水によって決められたのです」
 「天海大僧正がですよね」
 「そうです。その他にも奇門(きもん)遁甲(とんこう)や符呪(ふじゅ)などのあらゆる方術(ほうじゅつ)を駆使(くし)してです」
 「先生、例えばどのようなことですか?」
 「そう、それはいい質問です」
 「・・・?」
 大沢は少々照れるようにして首をすぼませた。
 「日光東照宮の陽明門には一本だけ逆さになった柱があることで知られています」
 「逆さ柱・・・でも、どうしてですか?」
 のり子は興味深々(きょうみしんしん)というように身を乗り出した。
 「これは誤って逆さにしたのではなく、これには天海大僧正の目論見(もくろみ)があったのです」
 「目論見(もくろみ)・・・?」
 大沢は小声でつぶやいた。
 「建物というのは完成と同時に崩壊が始まるということを逆手にとって、わざと柱を逆さにして未完成の状態にしたのです。謂(い)わば、魔除(まよ)けのためなのでしょう」
 「ふ~ん、そうですか・・・」
 のり子は大きくため息をついた。
 「先生! 見てください。これですね」
 こずえがパソコンの画面を指すとみんなの目が一斉に向けられた。
 「これって、葵の紋に似てない?」
 「そう、言われてみると見えなくもないわ」         
 「分かった!」
 「どうしたの、大沢くん」
 「きっと、逆さ葵もこの柱と同じことじゃないのかな」
 「どのように?」
 「それは・・・つまり・・・徳川家の末永い繁栄のためとか・・・」
 大沢はのり子に詰め寄られしどろもどろになって返した。
 「・・・・」
 「先生はどう思います?」
 大沢はのり子の質問から逃れるように加納に振った。
 「それも、あるかもしれません。ただ・・・」
 「ただ?」
 「通常の葵の紋は正三角形ですが逆さ葵の場合は逆三角形なのです」
 「・・・・?」
 誰もが加納の意味するところが理(わ)解(か)らず押し黙ったまま聞いていた。
 「それで、この両方の三角形を合わせると・・・」
 「六角形です」
 すかさず、こずえが応えた。
 「そうです。つまり・・・」
 「ダビデの紋」
 今度はのり子が言った。
 「このダビデの星型は完全を表わすのです。そして、廻(まわ)り燈篭(とうろう)には九つの逆さ葵の紋があり、九つという数字は完全をも意味するのです」
 「えっ! それって何・・・なんですか?」
 大沢は訳がわからず慌てて訊(たず)ねた。
 「では、天海大僧正というのはユダヤ・フリーメーソンだったのですか?」
 富田は大沢を無視して加納に質問した。
 「いや、そうとは言えませんが、なんとなく感じたのです」
 「でも・・その当時は鎖国(さこく)でしたよね、そのような思想が入ってきたのですか?」
 のり子は遠慮がちに質(ただ)した。
 「長崎の出島でオランダなどと貿易をしていましたから」
 「あっ、そうでした」
 「加納さん!」
 「なんですか?」
 「明智光秀=天海は信長に仕えていたころ信長の娘婿の家臣にユダヤ人ロルテスという人物がおりました」
 富田は思い出したように言った。
 「そうでしたか」
 「彼は西洋の会計や測量技術をもたらしましたが、フリーメーソンだった節もみられます」
 「う~ん」
 加納は目をつむりながら何度もうなずいてみせた。
 「そうだ!」
 「どうしました富田さん?」
 「日光には石屋町という地名がありますよ」
 「えっ、本当ですか!」
 加納にしては珍しく大きな声となった。
 「石屋町がフリーメーソンと何か関係があるのですか?」
 「大沢くん、大ありですよ」
 加納は息を継ぐと笑顔で語り始めた―
 ―フリーメーソンの源流を古代に求めようとする説の中で、最も有力視されているのが中世の石工職人組合(ギルド)起源説である。中世において大聖堂や宮殿などの建造物がヨーロッパ各地に建てられたが、このような巨大なプロジェクトの作業を行ったのが親方=マスターを中心とする石工職人組合(ギルド)を結成すると共にロッジと呼ばれる集会所で、さまざまな儀式を行っていた。フリーメーソンの起源はこの石工職人=石屋にあるとする見方である。
 「それで、石屋町と関係があると」
 大沢は納得したのか、顔に笑(え)みが戻った。
 「そうです。おそらく、天海大僧正はこの日光東照宮に彼の持つあらゆる秘儀を取り入れたと思います」
 「う~ん、なんか面白くなってきましたね」
 のり子は楽しそうに笑った。その時、携帯電話のベルが鳴ると富田はあわててカバンから取り出し、なにやら話すとみんなに言った。
 「すみません。家からで、お客が来たようなのでこれで失礼します」
 「そうでしたか。残念ですが色々と助かりました」
 加納が礼を言うとみんなも頭を下げた。
 「いえ、いえ。私に役立てることがあればいつでも言って下さい」
 「さすが歴史の先生ですね、勉強になりました」
 大沢が感心したように言うと富田は気を良くしたのか付け足すように言った―
 「東照宮といっても日光だけでなく、まだ他にもあるのでそれも調べてはどうでしょうか」
 「東照宮って日光だけじゃないのですか?」
 のり子は驚いたように質(ただ)した。
 「それでは、どうも失礼します」
 富田が帰ったあと事務所の中が静かになったのと、みんなも疲れたのか少し無口になりぐったりとして椅子(いす)にもたれかけた。
 「冷たい麦茶でもいれましょうか」
 こずえが最初に口を開いた。
 「それがいいね。それと、何かお菓子でも・・・」
 大沢はすぐに賛成した。
 「まあ、大沢くんは休憩と飲み物と食べ物に関してはすぐに賛成するのね」
 「そりゃあそうですよ、のり子さん。これを三種の神器と言うんです」
 大沢は口にポテトチップスをほおばりながら返した。
 「ああ、冷たくておいしいわ」
 こずえはおいしそうに麦茶を飲んだ。
 「ところで、さっき富田さんが他にも東照宮があるって・・・」
 「そうだった。こずえちゃんパソコンで調べてよ」
 「はい」
 こずえは返事をするなりキーボードを叩いた。
 「どうだい?」
 大沢は画面に顔を近づけながら訊(たず)ねた。
 「本当だわ、東照宮といっても沢山ありますね」
 「そんなにあるの?」
 のり子もこずえの後ろから覗き込んだ。
 「あっ!・・・」
 「何かあったかい?」
 「ええ。これなんか・・どうかしら」
 そう言うなり、めぐみはパソコンの画面を読み出した―   
 ―徳川発祥の地、群馬県の太田市世良田町に鎮座する東照宮は徳川発祥の地として、日光東照宮の旧社殿を移築し、全国に鎮座した六百社ともいわれる東照宮のうちでも最古の社殿である。二代将軍秀忠が造営した紅葉山東照宮社殿の配置は世良田東照宮を指し、日光東照宮と結ぶと三角形となる―
 「ほう、また三角形ですか」
 そう言って、パイプ煙草を机の上に置くと加納がにこやかに近づいてきた。
 「先生、これも天海大僧正の仕業(しわざ)でしょうか?」
 「恐らく、方位(ほうい)による結びつき・・・つまり、結束の強さと徳川家の末永い繁栄を方術(ほうじゅつ)でとり入れたのでしょう」
 「それにしても、天海という人物は底知れぬ恐ろしさを持っていますね」
 大沢はひとしきり感心するかのごとく顎(あご)に手をやった。
 「まあ! 大沢くんたら、謎を解くシャーロック・ホームズみたい」
 こずえは大沢を見て笑いながら言った。
 「そうかしら? さまになってないけど・・・」
 のり子がすぐに茶化(ちゃか)した。
 「ひどいですね、のり子さん」
 「ハハハ・・・」
 「あれ、先生まで」
 「いや、すまん。そういう訳じゃないよ・・・ところで、もう八時半になってしまったな」
 加納も笑ったが、悪いと思ったのかすぐに話を変えた。
 「もう、そんな時間ですか?」
 みんなも驚いたように柱の時計に眼を遣(や)った。
 「仕事でさえ、これだけ真剣ににした事ないすよね・・・」
 大沢はみんなを見回しながら言った。
 「それは大沢くんの話でしょう、私達はいつも真剣ですよ。ねえ、こずえちゃん」
 「・・・・」
 こずえは応えるかわりに笑って返した。
 「チェ!」
 「まあ、まあ。冗談なんだから大沢くん」
 加納はなぐさめるように大沢の肩をたたいた。
 「分かってますけど・・・」
 「さあ、また明日ということにしよう」
 「はい」
 機嫌をなおしたのか大沢は大きい声で返事をした

つづく