山田勝麿市長が引退表明!病院問題「残念の一言に尽きる」 


mayor-intai.jpg 小樽市の山田勝麿市長(71)は、9月2日(木)16:00から市長応接室で記者会見を開き、2011(平成23)年4月の市長選挙には出馬せず、3期12年の任期をもって引退することを表明した。
 記者会見の冒頭、「今日の午前中に、これまで支援を頂きました後援会、推薦団体、推薦頂いた政党の代表の方に、来年の選挙には出馬をしないということを話をさせて頂きまして、ご了承を頂きました。これまで選挙の際の母体となっていた『はつらつ小樽をつくる市民の会』の多くの皆さんにお世話になってきましたが、今日、私の方から申し上げまして快くご理解を頂きました。
 引退の理由としましては、地方自治体の組長の多選は好ましくないといいますか、私は以前から3期12年と考えていたので、そのことが一つ。来年年明けると 72歳と高齢にもなりますので、それが一つ。さらには、大きな変革の時代でありますし、若い柔軟な発想で市政を取り組んで頂ける方にしてもらいたいと思います。多くの市民の皆さん、関係の皆さんに支えて頂き、郷土小樽のために精一杯取り組んでまいりましたが、まだまだ任期8ヶ月弱ありますので全力でよろしくお願い致します。
 後継の問題ですけども、あえて私から指名することはないですが、行政は継続ですので、たとえば病院問題で引続きやって頂ける方になって頂きたいと思います。ぜひそういう方にやって頂ければと思います」と述べた。
 山田市長は、昭和35年に市役所に入庁して以来、社会教育部長、学校教育部長、経済部長、総務部長、小樽市収入役を歴任し、1999(平成11)年4月30日に1期目就任。当時から、市内にある2つの病院を統合新築することを公約に掲げていた。2期目最終年になって、財政の見通しがつかないまま築港地区での基本設計業務を発注。
 3期目の選挙では、三度、新病院建設を公約に掲げたが、就任早々、土地購入(約8億円)の起債が得られないことなどを理由に、2期目最終年に慌て て発注した基本設計業務を中断。任期最終年になって、建設場所を量徳小学校敷地に方針を変え、この6月に、再び、基本設計の発注を行った。
 公約に掲げた新病院建設が12年経っても、いまだ基本設計を発注しただけとなっていることに対し、「私としては残念ですよ。ここまでかかったこ とに対して。その一言に尽きます」とした上で、「病院問題は、議会も早期着手でオール賛成ですから、次やる人に、これを止めたと言われては困るので、 この問題に取り組んでくれる人に引き継いでもらいたいと思っている。まずは今の基本設計を終える。地元の業者も入り、安く出来るにはどんな方法が あるのか残りの任期で話を進めていきたい」と述べた。
 財政問題については、「一番は平成16年に予算が組めなくなって、カラ財源をもってやる時に、日経ビジネスでね、『敗軍の将、兵を語る』と全国の雑誌にバッチリでて、あれですっかり有名になっちゃってさ、国会からも事情聴取が来て、当時の麻生さんから、組長の資質の問題だと言われた。冗談でない、国はどうなんだと逆に言い返したら、逆にそれがさ、今そんなことを思い出す。
 まあ、一番は財政健全化法が出来て、この数値になれば再生団体になる、早期健全化団体になるという指導があった時に、予算が組めなくて、職員のボーナスを一ヶ月カットする緊急措置をした。市民サービスは従来通りとして、それを維持しながらそういう対応をした。給与カットして、さらに上積みでボーナスカットですから、決して今回の措置で復元した訳ではなく、ほんの一部だけ職員に返した。職員の奥さんからも、手紙が来て、住宅ローンが払えないという陳情を受けていますが、まあ頑張れば2年続けて6億の黒字団体になった。財政も良くなって、過疎債も使えるので、次に残っている課題も出来るのかなと思いますが、引継ぎはちゃんとするが、新しい人に、新しい発想で、お願いしたい」。
 中心市街地の問題では、「丸井の問題は、行政として出来る限りの応援をしたい」。
 引退の決断時期に対して、「最後の任期に入ってから決断した。年も年ですので、若い若いと皆さんにおだてられていましたが、考えてみたら、残りの人生いつパッタリいくか分からない。健康には十分留意はしてきましたが、こういう大事な職を途中で倒れると迷惑がかかってしまうので、ロスタイムがあるうちにと思った」。
 後継については、「安達さんは違うが4代役人市長で、例えば、大阪の橋本知事のように発想がガラっと違う人が良い。直轄負担金のことをボッタクリバーの請求書みたいだという、そうやって言える発想の人が良いと思う。我々もおかしいなと思っていながら、中々発言出来なかった。発想は民間だから出てくる。役所は頭の中でチラチラ浮かんでもそういう発想がない」。
 引退後については、「色々、市長辞めたら札幌に行くという人がいるが、札幌に行けと言われてるみたいだが、決してそうではなく、人生の半分以上は小樽で生きているので、小樽の街の発展をしっかり見ながら過ごして生きたい」と語った。
 12年間公約に掲げた新病院建設を果たせないまま、来年4月の任期満了をもって山田市政は幕を下ろす。この引退表明によって、来年4月 の市長選挙に向けて、次第に各方面が慌しく動き始める。