「蜃気楼のここがおもしろい!」奨励賞受賞記念講演会開催


miragelecture2.jpg 日本気象学会奨励賞受賞記念講演会「蜃気楼のここがおもしろい!」と題し、小樽市総合博物館の大鐘卓哉学芸員が、12月4日(日)10:30より、本館(手宮1)2階研修室で講演した。吹雪の中、20名の参加者が集まった。
 参加者に受賞したメダルの実際の重みに触れ、感じてもらってから講義が始まった。
 「1997年に『高島おばけ』を知り、目撃情報はあるが証拠写真がないまま、この年は観測には至らなかった。1998年の4月10日に、大規模蜃気楼を初観測し、5月12日にも大規模蜃気楼と、蜃気楼に引き込まれていった。魅力とは、見て不思議、想定外の景色がみるみるうちに変化していく様子」と語る。
 「その後、毎年10回前後の蜃気楼を観測し、大規模は、1年に数回確認できるほどの貴重な現象である。その中で、最も印象深い蜃気楼は、2008年6月3日・23日のもので、23日の蜃気楼は、観測至上最大規模となる」と、その時の映像を流し説明した。
 「石狩湾新港のタンク群がワイングラスやひょうたん型のように伸びあがり、1分から2分間で形が変化していく。中でも貴重な映像は、海の蜃気楼で、北から海面が波のように盛り上がり、南へ流れ景色が消されていく。その後、祝津パノラマ展望台へ行き、変形太陽を観測、盃を逆さまにしたような形やグリーンフラッシュを確認した」と、成果の大きい1日となり、このような体験から、もっと蜃気楼が見たくなり、今日に至っている。
miragelecture1.jpg 「今年は、発生回数16回と大規模(一般に肉眼で判別可能)4回、中規模(双眼鏡で分る程度)3回、小規模(経験がないと分らない)8回。今シーズンの初観測が、5月12日といつもより遅いスタートにも関わらず、出現回数の多い密度の濃いシーズンとなった。」
 会場には、2011年6月18日16:17のインターバルカメラによる3分間の大規模蜃気楼の映像が流れた。
 「今年の初観測日の蜃気楼は、石狩湾南東側から遠方の積丹半島の蜃気楼を観測し、対岸側の小樽から石狩方面の蜃気楼も確認する事ができた。6月8日は、近距離8kmでの蜃気楼を観測。7月6日、15回目最多回数の記念すべき日の蜃気楼は、雄冬岬の蜃気楼、南方域だけではなく、北方域でも確認された。テレビ・報道により数多く紹介され広く伝わった。」
 蜃気楼は、光の屈折現象であるという事を装置で実際に明かされた。「高島おばけは、上位蜃気楼の事で、海水が冷たく海上に温かい空気があると、密度の違うところに光が通ると屈折する、光の屈折現象である。科学的に説明できる現象。下位蜃気楼とは、逃げ水・浮景現象があり、海水が温かく、空気が冷たいと起こる」と説明した。
 「紀元前中国の書物『史記』に『海旁蜃気象楼台」という一節があり、江戸時代『図画百鬼夜行図』に蜃気楼が書かれ、不思議な現象として知られていた。1846年、探検家・松浦武四郎は、『再航蝦夷日誌』に記し、武四郎は、当時、蜃気楼で有名だった伊勢の出身で、塩谷の海上に来たところ『小さな点のような島と思えた岩礁が大きくなった』と書かれている。」
miragelecture3.jpg 分ってきた事として、蜃気楼に関する工芸品や美術品が多くあり、根付け、絵皿、丼、浮世絵などの大鐘学芸員のコレクション品が展示された。
 また、「雪解け水と関係があると言われていたが、無関係で、『暖気移流説』石狩湾でのいくつかの発生エリアがあり、4月から7月、海水面が冷たく、天気が晴れ、気温が高く、穏やかな南風で温かい空気が流れ、沖合いの冷たい空気が暖かい空気の下に入り込む。風は、強からず弱すぎず、2〜3mの風速、山口の観測地点(アメダス)と、定置網の旗を見ながら予測する。」
 「分っていない事は、明治37年に蜃気楼の物理的現象が本に書かれているが、科学的に理解したのはいつか?変遷を調べている。気象学を歴史的な流れで調べる。蜃気楼の蜃は、龍の仲間だという説と大ハマグリなのか語源についても分っていない。江戸時代に蜃気楼の記録が残された伊勢湾、山田湾、北越、周防は、その後どう解明されたのか。武四郎はどのように蜃気楼を調べたのか。工芸品が多いのは、何故か?蜃気楼が発生するいろいろな事例があり、発生機構についてまだ分っていないことが多い」と話した。
 聴講していた館山稔さんは、「2008年6月23日の蜃気楼を偶然見て、虜になった。今年もいくつかの蜃気楼を観測した。今日の講座は面白かった。蜃気楼に興味のある人は、聞いてみたかったと思う。蜃気楼も夕日も運だと思うところもあるが、来年も期待したい」と、すでに蜃気楼ウオッチャーのひとりだ。
 大鐘学芸員は、「悪天候が予想され心配だったが、沢山の方が来てくれて良かったと思う。今まで以上に、初めての方にも興味をもっと持ってもらいたい」と話していた。