2月21日(火)から23日(木)まで小樽商科大学(緑3)で開かれている「2012年小樽小林多喜二国際シンポジウム」の記念講演会が、21日18:30から、市民センターマリンホール(色内2)で行われた。
多喜二の研究者として知られているシカゴ大学ノーマ・フィールド氏を講師に、「小林多喜二を21世紀に考える意味」と題して開かれた。
初めに、商科大学室内管弦楽団の演奏が行われた。多喜二は、出獄後に神奈川県七沢温泉の福本館のお風呂でブラームス作曲「折ればよかった(高野辰之作詞)」をよく歌っていたとされており、ブラームス「ハンガリア舞曲」2番・5番、モーツァルト「ディヴェルティメント」が演奏された。
山本眞樹夫学長は、「シンポジウムは、商大100周年事業の締めくくりとなる。私自身、簿記会計学の教師で、文学とは正反対であるが、学長を務める商科大学で、小林多喜二のシンポジウムで締めくくるのは、本学にとって何かしら象徴的なものがある。簿記会計の高度な技術であれ理論であれ、道徳観、倫理観が無ければ役に立たず、弊害になる。100年前初代校長の渡邊龍聖氏は、実学、語学、品格の育成が教育の基本とし、品格育成がもっとも大事。商業は、人と人との営みがあり、品格教育は商業教育の基本であると言っていた。多喜二を考えると、他人に対する優しさや思いやりを文学の柱にしてきた多喜二は、ある意味、品格教育が形である。商科大学での教育にとって小林多喜二の意味を考えたい」と挨拶した。
ノーマ・フィールド氏は、「『格差』『貧困』『非正規雇用』がキーワードになった時、『蟹工船』がブームとなった。福島の原発事故を受け、多喜二は、何が語れるだろうか、見出すことができるかと考えた。反原発運動は、反核運動であり、戦後、原発と核兵器は、別のものだと信じ込まされた。良い核、悪い原発という考えを改めなければならない。共にひとつのものとして戦っていけるか考えたい」と話し、「多喜二は責任感が強く母を養い努力し、命がけの運動を続け、命を落とした。脱原発運動は、命がけとは言えないが、生活のために参加しない人も多い。その躊躇していた人も運動に参加し、色々な方面からの働きかけが必要。1人ではできない、全員の生命と人格をどうやって尊重するのか向き合って手を繋ぎ、一歩一歩進んでいくことだと思う」と話した。
「蟹工船」の広がりと深まり(ミニパネル)では、フェリス女学院大学の島村輝教授がコーディネーターとなり、イタリア、フランス、ノルウェー、スペイン、アメリカ、韓国、中国から、「蟹工船」の翻訳者が集まった。
1人ずつ翻訳のエピソードを語り、自国語で蟹工船の一節を朗読した。
中国の奏剛氏は「2007年に翻訳したが、解説や年表、原文のまま翻訳することは大変だった。真面目に読んでいない出版社からは、革命文学だと言われ、出版には時間がかかった。2008年に蟹工船がブームとなり、大手出版社から2万部出版した」などと、おもしろおかしくエピソードが語られ、会場から笑いが沸き起こった。
また、ノルウェーのマグネ・トリングさんは、「初めて小樽に来た。2008年に蟹工船を読んだだけだが翻訳を頼まれた。『デスノート』などの翻訳をしていたが、蟹工船は、難しく悪戦苦闘したが、勉強になり興味深かった。漁師の方言をノルウェーの方言に置き換え、台詞に力が出ていればいいと思う」と話していた。