手宮鉄道の遺構散策 『北運河〜手宮』小樽散歩 開催

 第1回「見よう 歩こう 小樽散歩」が、6月23日(土)、北運河のゴールドストーン前に集合し開催された。NPO法人小樽ソーシャルネットワークが主催し、市民向けに、普段は行かないような場所を含め、気楽に散歩を楽しんでもらおうと企画。第1回目は、30名ほどの参加で、北運河〜手宮方面を散策した。
 同会員でガイドブック「小樽散歩案内」を出版した編集制作プロダクション代表・佐藤圭樹氏と小樽観光案内人の竹内勝治氏がガイド役を務めた。小樽商科大学2年生の3名もスタッフとして参加した。
 一行は、集合場所を10:00過ぎに出発。住んでいながら気付かない場所や昔のなごりがある場所を散策した。旧手宮線では、昭和60年まで手宮駅があり、戦前までは複線でそれだけ車両の本数が多く、石炭輸送に利用されていた。石山切り崩し跡や石倉の印を見たり、手宮の歴史を知る。
 坂の幅が十間(約18m)であることから名付けられ、小樽の急な坂のひとつでもある十間坂に到着。手宮のメインストリートを見下ろす景色が良い。戦前からある手宮市場は、大正6年に露店だったものを、市場という建物にまとめたのが始まり。「小樽では、餅に必要な材料が手に入りやすく、運河での肉体労働者は、餅は腹持ちが良いと買い求められたため、能島通りには、餅屋が多い」と竹内氏は説明した。
 手宮ターミナルから高島方面へ向うと、手宮公園の壁に沿って線路が敷かれた跡があり、当時の手宮が石炭の積み出し港として活躍したのが分かる。博物館の給水塔や車庫の説明にも、参加者は熱心に聞き入っていた。参加者の中には、手宮駅から列車を利用した経験のある人もいて、昔を懐かしんでいた。
 手宮洞窟保存館では、洞窟内の室温12〜13℃、湿度80%の状態を保つ中、総合博物館石神学芸員が、以前は古代文字と言われていたが、シャーマン(激しい踊りや祈りをして占いや収穫のお告げをする人)を表現したという説が有力となり、1600年から1700年前に描かれたものであるなどと解説した。
 近くには、擁壁があり、明治45年から使用され、昭和19年に廃止された。高架桟橋に至る線路の路盤を支えたレンガ積みの壁のことで、高架桟橋は400mもあった。当時の写真を見ながら説明を聞いた。現在カモメが沢山留まっている石炭積み出し施設跡を眺め、運河公園へ立ち寄り、出発点のゴールドストーン前へ戻った。
 空模様が心配されていたが雨が降ることもなく、参加者は、2時間30分の有意義な散歩を楽しんだ。市内入船町在住の井上さんは「地元にいても手宮洞窟へ行くことがなく、昔の話では、防空壕だと思っていた。普段歩かない所を散策し、発見が沢山あった。次回の潮見台かいわいにも参加する予定」と話していた。
 ガイド役を務めた佐藤氏は「皆さんがどう感じたか気になっていたが、住宅街では、改めて気付いたことがあったと聞いた。普段通ることがない場所へ行き、貴重な会となった」と話した。
 次回30日(土)の「潮見台かいわい」は、すでに定員となっている。龍徳寺前に集合し、宗園寺、和光荘など見所の多い潮見台を散策する予定。