"色鮮やかな引き札"の世界を紹介 運河館ギャラリートーク


museumunga1.jpg 運河館ギャラリートーク「引き札にみる明治」が、小樽総合博物館運河館(色内2)で11月25日(日)11:00より開かれた。
 同館では、10月6日(土)から12月7日(金)まで「運河館小さな企画展”絵画ー広告ー引き札の世界”」を第一展示室で開催中だ。
 その引き札(ひきふだ)について、同館石川直章学芸員が講師となり、小樽市民の引き札コレクターから寄贈された明治中期から大正初期の石刷りもの40枚を公開しながら、詳しく説明した。市民10名が参加した。
 「引き札は、宣伝のために商店が配った一枚絵で、広告、チラシの元祖と言われる。商売繁盛の願いが込められている。引き札の意味は、客を引く、引きつける。引くの語義の中に『配る』もある。江戸中期には『札回し』『口上書』『書付』と呼ばれた。始まりは13世紀、一遍上人が、お経を札に書いて撒いたと言われるが、広告媒体としては、17世紀の半ばで、売上げ向上として、木版一色ものだった。有名な引き札では、呉服商・三井越後屋(現在の三越)が『呉服物現金安売掛値なし』の引き札を配布したことが最初と言われるが、それ以前にも小さいものはあった。1840年、越後屋大阪本店全焼から新規開店の引き札は、木版手刷りで70万6千枚作り、大阪市中には12万枚、残りは全国へ配布したと言われる。
museumunga2.jpg 引き札を書いたのは、平賀源内(コピーライターの元祖)、山東京伝、式亭三馬、滝沢馬琴、尾崎紅葉、森鴎外など。やがて、墨一色ものから赤色が入ってくる。カステラが病気にも効くなど、誇大広告の要素も含まれたものもあった。年末、正月の挨拶用や吉祥図用(おめでたい・縁起の良い)に使われ、浮世絵師や彫師の仕事となった。図柄には七福神が主流となり、恵比寿・大黒天が良く使われている。恵比寿は釣竿と鯛を持ち、漁業と商売の神。大黒天は福袋と打出の小槌を持ち、豊穣の神。米の神は、商売の神とされた。木版から石版へと変わり、木版に比べ工程が簡略化され、彫師の技術が省かれることになった。朝日、鶴、富士山、船を組み合わせたものが多い。明治34年頃には、暦を取り入れたものや美人と子どもを宣伝の手段とし、定型的なポーズと顔となる」と説明し、醤油屋、下駄屋、乾物屋、呉服屋、染物屋の引き札を次々と紹介した。
 また、「文明開化と共に最新の流行を取り入れ、自転車と蒸気機関車を組み合わせた引き札には、自転車の速さと力強さをアピールしている。伝統的な図柄を使いながら、新しいものを組み合わせていた。明治38(1905)年以降は、電話料金表や郵便物料金早見表を組み合わせ、貼ってもらいたい、残してもらいたいとの思いから、実用的なものが組み込まれた。同館所蔵品は、文字が無い引き札『名入れ引き札』で、後から商店名や住所、情報を加えて作成する図案集、所蔵の半数以上がこのタイプである」と説明した。
 参加者は、見た目も華やかな引き札の絵柄や、懐かしい商店名、今はなき小樽の地名など興味深々となり、質問を交えながら説明に聞き入っていた。