文学館亀井館長最後の講演 "小樽の文学史を語る"


otarubungakushi1.jpg 市立小樽文学館(色内1)の亀井秀雄館長(77)は、14年間務めた館長職を3月をもって退任するため、同館長としての最後の講演会が、3月22日(土)14:00から、市立美術館(色内1)1 階研修室で開かれた。
 同文学講座は、文学に関する関心を高め、文学を身近なものとすることを目的として開かれている。1月18日から始まった企画展「小樽文学史」に合わせ、「小樽『はじめて』の文学史」と題して開かれ、市民ら40人が聴講した。
 亀井氏は、1937(昭和12)年群馬県生まれ。北海道大学を卒業。高校教師や大学教授を務め、数々の著書を出版した日本文学研究者。2000(平成12)年から同館の館長を務め、1年に5回ほどの講演会を開き、今まで60から70回もの講演会を開催。この日の最後の講演で、14年間の館長職にピリオドを打った。
kameikantyo.jpg 同企画展では、小樽文学館35年間を振り返り、明治・大正を中心に、読書の環境の変化や貸本屋・古本屋の変遷から歌謡曲までを辿り、さまざまな視点から小樽文学史を紹介してきた。企画展に合わせた関連講座として、8日(土)には、FM三角山パーソナリティーの青砥純氏を講師に迎え「小樽の歌謡史」について行なわれ、今回は2つ目の関連講座となっている。
 講演の中で亀井氏は、本日発行の著書「小樽『はじめて』の文学史」ー明治・大正編」の56ページの冊子に触れ、発行の経緯や文学の歴史、小樽の文学史を語った。
 「文学作品の内容は、いかに書き手が主体性をもって自分の時代を捉えて作品に反映しているか明らかにし、その流れを辿るのことが文学史と考えられ、誰もがそう信じている時代もあった。更科日記は、王朝貴族の崩壊期にあたり、武士階級が勃興してくる状況で書かれている。新たしく成長しつつある農民の姿が描かれてなく、貴族階級の歴史的な条件や武士階級の作者の認識不足を指摘されたが、平安時代にひとりの女性が後世の歴史学者が考えるような社会構造までを考える訳がないと思い、文学史に不信を覚えた時代もあった。その後、文学を考えるには、文学を成り立たせる言語を考えることで、言語によって成り立つ文学作品を捉えることが期待されるようになった」と話した。
otarubungakushi2.jpg また、昭和12年頃に発表した伊藤整の作品の中で、亀井氏が一番好きな小樽市塩谷を舞台にした「幽鬼の村」に触れ、暗い時代を反映していたが、歴史を辿るとそうではないことが分かり、いくつかの作品を上げて説明した。
 後半は、小樽の文学史について語った。「小樽の文学作品の扱い方は、時代を反映しているのとは別に、その文学作品は何を見出しているか、作品が何を作り出そうとしているか、その内部構造は何かを捉えることが可能だと思った。読書できる照明の環境の変化や本を貸し出す貸本屋の存在があった。小樽の中で、はじめて何があったのか、記録がないものが多く難しい。比較的資料が手に入り、全体像が掴めたものの中で、旧制の各中学校や女学校での文芸欄での表現活動に大きな意味があった。同館で『校歌』を取り上げ、文学史の資料とした。なるべく今のうちに集めたい。ガリ版刷りの表現活動は幅広く、同人誌を出したり社内報を書くなど、この表現をどこでどう始めたか、どう仲間を見い出して始めたかを、地域の表現活動の実態を知る上でもガリ版ものの発掘は、今後不可欠な課題といえる」 と説明した。

 最後に、「もっと地域に即した文学史が生まれると感じている。魅力的な文学史にはなりきらなかった」としたが、「14年間、色々な意味で幸せだった。ちょうど良い緊張感が持続できた」と振り返り、出席者から大きな拍手が沸き起こった。
 4月から、玉川薫副館長が新館長を務めることとなり、「亀井館長は、地方文学館を考える先生に最も相応しかった。今後も亀井ポリシーを繋げていく努力をしたい」と述べた。