東日本大震災を支援するボランティア「Ya・Re・Ru・Ko・To実行委員会」(大橋真由美代表・スタッフ17名)では、9月13日(土)18:30から20:30まで、かもめ亭(旧エンペラー・色内1)を会場に、被災地に住む塩釜市ボランティア「希望」代表の會澤純一郎代表をはじめ、塩釜ガス社員、消防団員ら5名を招き、市民を交えて現地の声を聞く「あの瞬間(とき)と今を語る会」を開き、市民や関係者100名が現地の生の声を聞き、改めて震災の悲惨さを知った。
同会が開催に合わせ、事前に質問したいことをアンケートで募り、それを60ほどの質問にまとめた。会終了後に、被災地から回答をもらい、取りまとめた貴重な資料が配布された。
同会は、被災地の現場から、今必要な物を聞き、同ボランティア「希望」へ直接支援物資を郵送したり、送料を調達するためにフリーマーケットを実施。夏休みを楽しんでもらおうと、福島の家族を小樽へ招くなど、活発な支援活動を続けている。
昨年10月に、大橋代表らは宮城県と福島県を訪問し、現状を目の当たりにし、被災者の「今だからこそ、語りたい・伝えたい」強い思いを感じ取り、今回の語る会を企画した。
フリートークが始まり、はじめの質問では、地震が起こった時の様子が語られた。塩釜ガスの職員は、プロパンガスの配送中に地震に遭遇し、その様子を事細かに語った。ライフラインを扱う仕事のため、地震後、逃げるように家族に伝えた後、家には戻らず、次の日、会社までの路が分からないほどの混乱の中、会社からの無線誘導で、なんとか戻り、電気も水もガソリンもない、これまで体験したことのない状況で過ごした。家族とは、3日後、災害電話で生存を確認し、生きていてほっとしたと、当時を思い出し、涙ながらに語った。その後、仮設住宅へ入り、自力で家を建てた。
消防団員は、地震後、家族の安全を確認し、消防団の詰所へ向かった。沿岸部の応援を頼まれたが、先輩が300〜500m先の津波を発見し、夢中で逃げ、九死に一生を得た。岡田地区では、60名ほどが津波の犠牲となった。
仙台市中心部の職場で仕事中に地震を経験した男性は、想定外の揺れに、今何が起きているのか分からなくなったという。地震に備え、自家発電装置をつけていた事務所は、テレビを見て、状況を知った。
次々と、悲惨な状況が語られ、参加者は、顔を歪めながら聞いていた。
犯罪について質問があり、自動販売機やATMがこじ開けられ、現金が盗まれたが、ある男性の質問の回答には、「数日間山に孤立した。流れてきた冷蔵庫の食料をたべ、壊れた船から油を取り、使えそうな船に給油し、その船で人命救助と遺体を引き上げた。みんな生きるために必死だった」と書かれている。
この件について、會澤さんは、「それぞれに行動をとったが、止む負えない場合は、悪いことではなく、その人の判断力や行動力を認めたい」と話した。
また、復興が進んでいないようだが、お金の善意は行き渡っているのかの質問に、
市町村や被災状況にも違いがあり、被災者全員に平等に配分されていないのが現状。どこへどう配られたのか疑問に思う人が大勢いる。日本の政府は義援金について国民への説明が一切ないと話した。限られた時間の中で、様々な質問が相次ぎ、時間を延長して続けられた。
最後に、會澤さんは、「日本の災害はどこでも起こりうるもので、想定しておくこと。小樽では災害がおきないと錯覚してはいけない。亡くなった人の意味を考える。人を助けようとして亡くなった人も多く、地域で協力したり、自分達は、どう生きたらよいか改めて考え、生き方に反映さるよう、自分自身に問いかけてもらいたい。ボランティア活動には、人間にとって優れた活動である」と締めくくった。
震災を風化させないことや、自然災害はどこでも起こりうること、地域の防災計画はどうなっているか、東日本大震災を忘れない意味があることを、それぞれに学んだ有意義な座談会となった。
◎関連記事