歌人小田観蛍 生涯と功績を紹介

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加


odakankei1.jpg 歌人で教育者の「小田小田観蛍(かんけい)の生涯」を紹介する特別展が、市立小樽文学館(色内1)で開催中だ。
 同館開館40周年を記念した特別展で、両親とともに小樽に移住した小田の歩みと功績を、年表や写真、直筆の短歌や歌集、作詞した校歌、掛軸や短冊、色紙など関係資料100点を展示して紹介している。
 同氏(1886~1973)は、岩手県久慈市出身で、14歳の時に両親と共に小樽に移住。15歳から代用教員となり、小樽で最も古い和歌の結社「小樽興風会」に入会したのをきっかけに、歌人となる。
 自己の修養のためにと、苫前や富良野、砂川などに出向いて教鞭を執り、子ども達への指導に一生懸命で、町内の青年にもボランティアで勉強を教えていたという。
odakankei3.jpg
 1911(明治44)年、中富良野尋常小学校での教員時代に、同僚4人と十勝岳で遭難事件を起こし、遭難事件を短歌の連作として詠い上げ、第1歌集「隠り沼」(大正8年)に収録したというエピソードも紹介している。
 1925(大正14)年に小樽に戻り、 同氏が主宰して、1930(昭和5)年に創刊した歌誌「新墾(にいはり)」は、北海道の厳しい風土を詠み、道内にいる歌人の活躍を全国に広げる役割を果たした。
 戦時中は、閉会を余儀なくされたが、戦後再結成した同歌誌は現在も続けられ、今年9月に1000号を迎えた。
odakankei2.jpg 庁立小樽中学校(現潮陵高校)の国語漢文教師、小樽高等商業学校(現小樽商大)、小樽北照高等学校、札幌短期大学など、50年に及ぶ教員生活のかたわら、短歌を詠み続けた。第1回北海道文化賞・第1回小樽文化功労賞を受賞。1973(昭和48)年元旦、小樽で生涯を閉じた。
 久慈市に同氏を記念した歌碑が建てられ、市内旭展望台周辺に2つの歌碑があり、銀河碑歌には、「距離感のちかき銀河をあふぎをり 身は北ぐにに住みふさふらし」と代表的な作品が書かれている。
 作詞した校歌は市内14校の他、道内外含めて30数校もの校歌を作詞している。久慈市歴史民族資料室所蔵の浦河第二中学校校歌をはじめ、同氏直筆の原稿や掛軸や色紙・手紙等を、会場で見ることができる。
 亀井志乃学芸員は、「小田観蛍の人生と書に触れていただきたい」と来場を呼びかけた。
 市立小樽文学館開館40周年記念特別展「歌人・小田観蛍の生涯」
 2019(平成31)年1月20日(日)まで10:00~17:00
 市立小樽文学館(色内1)
 休館:月曜日(12/24・1/14除く)・12/25(火)・26(水)・29(土)~1/3(木)・15(火)・16(水)
 市立小樽文学館開館40周年記念特別展について
 関連記事