小樽高島漁港納涼大花火大会実行委150万円寄附

 小樽市高島の盆の夜空を彩るイベント、高島漁港納涼大花火大会実行委員会(成田学実行委員長)は、本(令和3)年3月末をもって解散を決定し、それに伴う運営費の残金150万円を、青少年健全育成のために市へ寄附することを決め、4月22日(木)13:00から、市役所(花園2)2階市長応接室で贈呈式を行った。

 

 成田実行委員長ら3名が出席し、迫俊哉市長に目録を手渡し、市から篤志者表彰が行われた。

 

 迫市長は、「地域に密着したイベントで、皆さんを楽しませていただき感謝し、苦労に敬意を表する。後継者がいないなど残念ではあるが、本日の寄附は、しっかりと子どもたちのために有効に使わせてもらいたい」と感謝した。

 

 高島漁港納涼大花火大会は、1988(昭和63年)年に、児童公園でこじんまりとした花火が始まりで、90年代に打ち上げ花火となった。

 

 高島漁港を会場にステージや出店で賑わい、スターマイン等約4,000発の花火を夜空に打ち上げ、市内外からの見物客を楽しませた。

 

 8月中旬のお盆に実施され、故人へのメッセージや好きだった曲をBGMにしての追悼花火が特徴だった。

 

 また、弁天島からの仕掛け花火“ナイヤガラ”は、間近で見え迫力満点で、花火が滝のように流れる様子に、ひときわ歓声が上がっていた。

 

 昨年の33回目はコロナ禍で中止となり、32回目までは休むことなく続けられ、小樽の恒例花火大会のひとつに数えられていた。

 

 企業や市民からの協賛金で運営が支えられて来たが、コロナ禍で協賛金集めも困難となり解散を決定。

 

 亡き父の後を継いで5年となる成田実行委員長は、弁天島に設置する花火を背負って運んだ苦労話を語り、「若い人たちのために活用してもらえらば」と話した。

 

 発足当初から運営に参加してきた蒲澤健二さんは、「子どもも大人も楽しんだのだから良い」と、決断に迷いはなかった。

 

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