小樽市指定文化財新規指定 西川家文書他2点

 小樽市では、これまでの指定文化財7件に加え、このほど小樽市総合博物館(手宮・石川直章館長)所蔵の花園公園設計図・稲垣益穂日誌・西川家文書を、新たに指定した。

 

 花園公園設計図は、1910(明治43)年に近代公園の先駆者と評される造園家の長岡安平が描いた高さ2.4m×幅3.2mもの大きな設計図。

 

 この頃、庭園はあったが公園という概念がなかった時代で、未整備だった場所を大々的に整備しようと、道内で中島公園・円山公園・大通公園の設計にも携わった同氏に依頼。

 

 図面には、植樹や花壇が綿密に描かれ、のちの小樽公園の基本計画となり、明治後期の小樽の勢いを示す資料で、同氏の現存する地図では2番目に大きい。

 

 石川館長は、「明治後半から大正にかけての小樽は、日本全国から超一流の人が集まって町を作ろうとしていた。その時代を証明する貴重な資料だ」と話していた。

 

 稲垣益穂日誌は、稲穂尋常高等小学校や小樽盲唖学校の校長を務めた稲垣益穂氏(1858〜1935)が、1896(明治29)年1月1日〜1935(昭和10)年1月27日の亡くなる直前までの38年間、和紙の原稿用紙に毛筆でほぼ毎日記された日誌で、初巻含めて55冊となる。

 

 子孫に残すため、家庭内の日常や職場の様子、当時の物価までも細かく記されている。1922(大正11)年に初めて運河と呼ばれたことや、妻が亡くなった日にも欠かさずに書れて、同館学芸員やボランティアにより36冊まで翻刻された。

 

 翻刻作業の経験がある小樽市教育委員会の山本侑奈さんは、「正確さが求められ、1文字だけでもどう書かれているのかで1日が終わることもあった。先生の性格自体もまめな性格で、何をいくらで買ったなど、歴史に残りずらい一般的な暮らしが、この日記には残されている。地図や挿絵からも当時を知ることができ、小樽のみならず、北海道や日本の歴史や一般的な暮らしを振り返ることができる貴重な資料」と話した。

 

 西川家文書は、江戸中期から明治期にかけて小樽周辺で商業活動を展開した、滋賀県近江八幡市出身の住吉屋西川家の忍路支店で使った、商業記録類の帳面日報など約300点に及び、日本遺産北前船の構成文化財となる。

 

 西川家は、忍路・高島などで場所請負に従事し、ニシン漁のほか、明治期に入ると北海道で初めて缶詰工場を営む。

 

 明治期の商店日誌(忍路・高島・小樽の3店舗)からは、物品の売買記録によって当時の小樽の物流の様子を知ることができ、小樽の地域史を描くのに欠かせない文書群となる。

 

 石川館長は、「忍路支店分の約300点が、同館にあることを全国にも発信する必要がある。日報の中にある御神楽の支払いから、御神楽が行われたことが分かり、断片的なことを繋ぎ合わせる仕事が必要ではあるが貴重な資料。

 

 漁業では、どこから来た人を雇い、いつ解雇しているか、給料はいくらか、その年のニシンの漁獲量なども分かる」と話した。

 

 同博物館運河館には、西川家文書の忍路支店資料の一部や稲垣益穂日誌の常設展示をしているが、花園公園設計図については、12月中旬に一般公開を予定している。

 

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