小林多喜二と大月源二展 小樽で出会いとそれぞれの足跡

 作家の小林多喜二と画家の大月源二は、小樽で出会い、それぞれに歩んだ2人の人生を遺された資料から紹介する「小林多喜二と大月源二展」が、1月20日(土)から市立小樽文学館(色内1)2階企画展示室で始まった。

 

 小林多喜二は1907(明治40)年の暮れに、大月源二も1908(明治41)年に、家族と共に小樽へ転居しそれぞれに小樽の別々の学校に通い、2人は水彩画を通じて知り合い、互いの展覧会を見に行くなど交流を持った。

 

 小林多喜二は作家に、大月源二は画家の道へと歩んだ接点を辿り、市立美術館所蔵の大月源二の絵画と、同文学館所蔵の貴重な生原稿や文芸誌・本・スケッチ・写真など、資料200点を展示している。

 

 1920(大正9)年、庁立小樽中学校5学年に在籍していた大月源二らは、「群像」という文芸誌を創刊。誌名も発案し表紙画も描いた。小林多喜二をはじめとする商業学校の生徒とも親交を結んだ。

 

 小林多喜二は、1924(大正13)年3月に北海道銀行拓殖銀行へ勤め始め、同人誌「クラルテ」を創刊。1926(大正15)年3月まで5冊発行した。

 

 大月源二は上京し、1928(昭和3)年大月の部屋を小林が訪ねて再会を果たし、小林は、三・一五事件を題材にした「一九二八年三月十五日」のカットを大月が手掛けた。

 

 同作は、機関誌「戦旗」1928(昭和3)年11月号・12月号に掲載され、翌年の「戦旗」5月号・6月号には、挿絵を大月が担当した小林の「蟹工船」が掲載された。

 

 1930(昭和5)年小林も上京。1930(昭和5)年8月23日~10月31日の都新聞に連載された、小林の長編小説「新女性気質」の挿絵も大月が手がけ、読者にインパクトを与えている。

 大月が、その新聞から切り抜いてスクラップしたものが同館にあり、拡大して会場に展示されている。

 

 小林多喜二作・大月源二画の作品は、「壁にはられた写真」、「転形期の人々」と続いた。

 

 1932年(昭和7)年6月に治安維持法で検挙され、豊多摩刑務所で投獄された大月は、1933(昭和8)年2月、小林の死を刑務所の中で知ることとなる。

 

 その後も大月は画家活動に励み、1946(昭和21)年には、日本美術界北海道支部結成、全道美術協会創立準備委員会に参加、一水会会員。1947(昭和22)年には、第1回小樽市展委員となり、1971(昭和46)年3月、67歳で亡くなるまで北海道の美術界の発展に貢献した。

 

 その間、1968(昭和43)年3月号「北方文芸」に、「小林多喜二特集 多喜二と私」を寄稿。

 

 札幌市民会館で開かれた小林多喜二没後三十周年記念ポスターも、大月が手掛けている。

 

 また、大月と共に活動していた画家仲間の稲垣小五郎と島崎蓊助の作品も、会場で紹介している。

 

 担当した伊藤あや学芸員は、「小樽で育った2人の生涯を、学生時代の作品を中心に展示している。すごく有名な2人が小樽にいた足跡を感じ、さらに身近に感じてもらいたい」と来場を呼びかけた。

 

 市立小樽文学館企画展「小林多喜二と大月源二展」

 1月20日(土)~3月10日(日)9:30~17:00(入館16:30)

 市立小樽文学館(色内1)2階企画展示室

 2/12除く月曜日・2/13(火)・14(水)・27(火)休館

 入館料:一般300円、高校生・市内70歳以上150円、中学生以下・障がい者とその介護者無料

 

 ◎小樽文学館(外部)