ミュージアムラウンジ 考古学研究者が小樽の遺跡解説

 小樽市総合博物館本館(手宮1)で、1月27日(土)10:30から「小樽の有名じゃない?遺跡」と題しミュージアムラウンジが行われた。考古学を研究する柴野初音学芸員が講師となり、約40名が参加しメモを取るなど熱心に話を聞いていた。

 

 小樽では102カ所の遺跡が確認され、有名な遺跡として、手宮洞窟と忍路環状列石は国指定である。

 

 今回は、小樽の近代以前の歴史を考える上で重要ではあるものの、一般的にはあまり知られていない市内の4つの遺跡を特徴も含めて紹介。

 

 北海道大学で考古学を学んだ柴野学芸員は、本題に入る前に、「日本考古学の父と呼ばれる濱田耕作の定義から、横山浩一は“考古学とは過去の人類の物質的遺物を資料として、人類の過去を研究する学問である”と定義している。研究の対象はあくまでも人で、遺跡(遺物・遺構)は、どれも過去の人間が関わったもの」と、考古学について解説した。

 

 1つ目は塩谷3遺跡(塩谷1丁目1−15ほか)。塩谷は歴史が古い地区で、縄文文化早期〜晩期、続縄文文化、擦文文化の8千年前の集落跡で、小樽最古の土器、竪穴住居跡が発見されたことに特徴がある。現在、確認された小樽の遺跡の中では一番古いため、小樽で初めて人が住みついた場所といえる。最古の土器も見つかり、縄文文様ではなく貝殻で文様を付けた貝殻条痕文があり、土器の役割として鍋として使用されていた。

 

 2つ目は忍路土場遺跡(忍路2丁目205・206ほか)。縄文文化後期のもので、北海道を代表する低湿地遺跡で、理化学的な調査や保存科学も多く行われた。地下水によって湿地環境になり、遺物が空気に触れずに保存され、水に浸っていることで分解されにくい。

 

 木が組まれた状態で見つかり、あく抜きが必要なとちの実などを水に浸していた場所で、他にも火起こしの道具や楽器など木の道具や、漆が塗られた土器や漆を塗っていたパレットも見つかり、漆製品を作っていたことも分かった。縄文文化は木の文化と言われ、ここでは、木の遺跡が沢山残され、当時の生活を知る上で重要な遺跡となる。

 

 3つ目は蘭島遺跡(蘭島2丁目32ほか)。蘭島川の流路を変えようと調査したことで発見され、続縄文文化終末から擦文文化前期にかけての住居跡や、炉跡・焼土・焚火跡・墓域が見つかっている。

 

 本州や北方領域との交易によってもたらされたと考えられる資料が出土し、いろいろな人が来て交易する場所だった。墓の中の副葬品では、9〜10cmものの耳飾りが出土し、使われていた石がサハリンでしか採れないもので交易の証拠となった。近畿地方から運ばれた直刀なども30〜40点見つかる。鉄を溶かして加工する場所の小鍛冶跡もあり、物と一緒に技術も本州から伝わっている。

 

 4つ目の船浜遺跡(船浜町160ほか)は、道路を作るための調査により分かった。続縄文文化、擦文文化、中世、近世〜近代で、後志や道央で少ない擦文文化終末期の土器が出土し、最後の土器が見つかり、始まりとなる鉄なべも見つかった。擦文文化の終わりは竪穴住居に住まず、いろりを使っていた。大きな転換期であったことが当時の土器から分かった。

 

 柴野学芸員は、「小樽には102カ所の多くの遺跡があり、面白い遺跡が多い。知っていた人も知らなかった人も、大昔この場所に住んでいたんだなあと、小樽の歴史について親しんでもらいたい」と話していた。

 

 参加者の1人は、「小樽の歴史を学びたい人が多いと感じた。小樽を散策したりする時に、こんなものがあったのかと想像できる。水の中の方が保存状態が良いことも知ったり、とても楽しめる内容だった」と満足していた。