小樽住ノ江火の見櫓の半鐘寄贈の新沼氏親族が見学

 3年前に、小樽住ノ江火の見櫓に設置されている半鐘の刻印から、寄贈者が新沼康正氏(1918〜2013)であることが分かった。

 

 同櫓をまもる会(早川陽子代表)では、同氏の長男・寿一氏(83)と連絡が取れ、6月5日(木)に同櫓の見物を兼ねて訪問が実現し、同会活動の歴史に残る貴重な日となった。

 早川代表は、「寄贈者の親族に小樽に来てもらえたことは奇跡的。いろいろな意味で火の見櫓を守ってきて良かった。どこかで壊していたらこのようなこともなかったので、残して良かった。これからの子どもたちにとっても持っていて良かったと思う」と喜んでいた。

 

 2022(令和4)年6月5日に、火の見櫓を所有していた小樽市消防団第6分団から無償譲渡された記念すべき日で、この日に寄贈者親族が訪問するという不思議な縁が重なった。

 

 1927(昭和2)年当時小樽は火事が多く、住ノ江町会が住ノ江会館隣りに建設した櫓の鐘は役立っていたという。第二次世界大戦時に鉄の回収でこの鐘も無くなっていた。

 

 その後1986(昭和61)年に会館の建て替えで35m上方に移設。2015(平成27)年に、火の見櫓からまちづくりを考える会の塩見寛代表(現同まもる会顧問)が訪問。早川代表が講演を聞きその価値を知った。

 2021(令和3)年11月に所有者の同分団から解体の知らせを受け、2022(令和4)年3月に同まもる会を設立。

 

 同年5月に市内業者が劣化と耐震の調査中に、「寄贈 石巻市下一 新沼金物店 新沼康正 昭和27年1月」と半鐘の刻印に書かれていたのを発見。同年6月5日同消防団から同会に無償譲渡され、2023(令和5)年9月に集めた資金で修復工事を実施。スケッチ会や講演会など様々なイベントを行い、火の見櫓の存在をPRしている。

 

 早川代表が刻印をヒントに、石巻市の 1913(大正2)年創業のニイヌマ株式会社を見つけ、手紙と資料を郵送し寿一氏と連絡を取ることができた。

 

 この日を心待ちにしていた同会メンバーが、火の見櫓に集まって出迎え、寄贈した証拠となる刻印を見てもらいたいと、改修業者が火の見櫓に登り、スマートフォンで刻印を撮影。櫓から見える景色も一緒にスマートフォンを通じて見てもらった。

 

 寿一氏が、父康正氏が軍隊で同じ部隊の小樽出身者と、戦争から戻った後も文通していたことが接点であると想定。

 

 また、祖父・直志さんが15歳の頃、一旗上げたいと石巻から小樽のニシン漁業に出稼ぎに来ていたと生前父の康正さんが聞かされ、ニシン漁で稼いだ資金をもとに、1913(大正2)年石巻市で金物屋を始めた。

 

 祖父がニシン番屋で過ごしていたことから、小樽の人へ親しみを持ち、戦時中の鉄回収で半鐘がないことを手紙で知り、1952(昭和27)年同氏35歳の時、小樽に半鐘を寄贈したのではと推測した。

 

 半鐘を見た寿一氏は、「早川会長から資料をもらい、おやじはこういうことをしていたんだなと、ぜひ行って見てみたいと思った。半鐘は火の見櫓にとっては大事なもの。自分も石巻市の消防団を応援する会の会長をしている。何か縁を感じた」と話した。

 

 同会副会長で小樽商科大学客員研究員の高野宏康氏は、「小樽のニシン漁に出稼ぎに来ていた人たちが、どんな暮らしに繋げていたのかが分かる貴重な例となる。祖父の直志さんは、どこの親方で働いていたのかが分かれば、どこの漁場だったのかを見つけることができるかもしれない。さらにストーリーが繋がる」と興味を示していた。

 

 塩見顧問は、「半鐘は火の見櫓の心臓だと思っている。今回は伺えないが貴重な機会。記録にまとめていただくことは大変価値がある」とメッセージを伝えた。

 

 ◎OTARU*TureDure火の見櫓をまもる会(外部)

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