裏小樽モンパルナスで長谷川博一を語るトークイベント

 小樽出身の音楽評論家・長谷川博一氏(1961‐2019)の七回忌に合わせ、親交があった平山秀朋氏が委員長を務める裏小樽モンパルナスプロジェクト委員会が主催し、同氏の仕事を振り返る回顧展に関連したトーク&ライブイベント「日本でいちばん小さなフェス“LittleOtaru~昨日がある町 小樽へ帰ろう”」が、12日(土)に開催され、40人が集まった。

 

 1部のトークイベントは、小樽にいた長谷川氏を小さい頃から知る叔母の藤間扇玉(藤森茂子)氏と従兄妹の藤間扇久華(藤森五月)氏が出演し、平山委員長が進行役を務めた。

 

 扇玉氏の夫・藤森茂男氏の姉が長谷川氏の母で、小樽から東京に旅立つまでや東京から小樽に帰省した時など、親戚藤森家から見た同氏について語られた。

 

 扇玉氏は、「藤森家には孫9人のうち男の子は同氏も含めて2人、あとは女の子で賑やかで、それを見て育ったためおしゃまな子だった。茂男氏は、そんな同氏を可愛がり、夫がいつも言っていた、小樽の人が好きで幸せに暮らすにはどうしたら良いかと、博一ちゃんと語っていたのではと、何かしら影響を与えていたと確信する。物静かで話をゆっくりと聞いて、結論を出す子だった」と振り返り、「博一ちゃんは、小樽に生れ育ち、恩返ししたいと主人と同じ考えだった。小樽に戻って小樽の人が幸せになることをしたいと相談を受けたこともあるが、もう10年東京で頑張るように伝え、このイベントの開催で、夢を叶えてもらい、とても喜んでいると思う」と述べた。

 扇久華氏にとっては10歳年上の気品の高いお兄さんで、可愛がってくれた印象。東京で働いていた同氏が帰省していた冬に茂男氏が亡くなり、「電話で僕の仕事はどこにいてもできることだよ。ゆくゆくは小樽に戻って働こうと話していた。小樽に帰省する度にカセットテープをもらい、ビーチボーイズのカセットは、当時ものすごくアメリカンで全曲かっこ良かったから、博一お兄ちゃんは、こんな世界に生きているんだと思った」と当時を振り返った。

 

 平山氏は、「音楽の人脈もすごく、この町に戻っていたら、面白い文化を発信でき、住んでいる人はワクワクすると思う。このイベントを開催して、小樽に基盤を作りたかったのでは」と推測した。

 

 2部は、同氏と親交があったアーティストの鈴木惣一朗氏が出演。同氏は、1958(昭和33)年静岡出身。1985(昭和60)年細野晴臣氏プロデュースで、ノン・スタンダード・レーベルから「WORLD STANDARD」でデビュー。音楽プロデューサーとして多くのアーティスと作品を手掛け、文筆家としても活躍している。

 

 「今日は、同氏との40年分のことをすべて話す」と意気込みを見せ、「今から6年前、30年ぶりに同氏に会い、売れる売れないを突きつけられるドライな業界で、同氏はキラキラして純粋で大陸的大らかさが心に響いた」という。

 

 同氏が亡くなる前に呼び出され、手術をすることとなり今日で話すのは最後と言われた。亡くなった数週間後にスピリチュアルなことが起こったという。

 

 同氏の著書で細野氏が76年に残した名盤「泰安洋行」の深層を探る「追憶の泰安洋行」にも触れ、「長谷川君の気持ちが音楽の力にパワーを付ける」と、両氏を知っている鈴木氏ならではの話が続いた。

 

 3部は、1979(昭和54)年にHEATWAVEを結成したミュージシャンで、同氏とも親交があった山口洋氏によるライブイベントが開かれた。

 

 ◎裏小樽モンパルナス(外部)

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