2005年10月のベストママ
靴の地球屋

高橋 希未子ママ

 「靴を見飽きる時は死ぬ時。元気なうちはずっと靴屋をやっていく」と、現役バリバリで“靴の地球屋”(花園1)を営業している看板娘。77歳の元気ママ。

 小学校5年生の時に手の骨を折って、その夏の修学旅行1泊2日の海水浴に行けなかったことがあり、頭の中でずっと「小樽」に行きたかったというママは、樺戸郡浦臼町鶴沼出身。「21歳の時に、姉の紹介で知り合った小樽出身の旦那と結婚したの。小樽出身に惹かれてしまって」と、念願の小樽移住を果たした。

 「靴の地球屋」は、希未子ママの夫・高橋栄治氏が創業してから55年が経つ。当時の小樽では、スキーが栄えていたので、栄治氏は、職人を集め、レース、ジャンプなど、競技用のスキー靴を注文だけで作っていた。

 1953(昭和28)年冬に、花銀で商売する客が「寒い、寒い、暖かい靴はないの?」と入って来て、その時に、動物の皮を中に入れて防寒靴を作ったことがきっかけになり、広く知れ渡ることになった。職人が7、8人働き、東京からも地球屋の靴を買い求める客がいたという。

 創業から13年後に、アメリカから、プラスチックのスキー靴が輸入されるようになった。地球屋では、手縫いのスキー靴の製造を打ち切り、紳士・婦人靴の製造だけに絞った。その後、栄治氏は「俺を死んだと思え、この靴屋を潰すも、活かすも、お前の自由だ」と、ママに言い残して、紳士靴のメーカーを立ち上げに東京へ上京した。「どんなに苦しいことがあっても、辛抱したとは思っていない。前向きな性格なの。絶対人を恨まないって信念も持っている」と、ママは当時を思い出しながら語る。

 アメリカからのプラスチックのスキー靴の輸入増加により、地球屋の職人も減っていき、婦人靴の小売店へと移り変わり、靴を仕入れに東京に足を運ぶようになったという。ママは「今では、札幌で仕入が出来るようになり、身体が楽になった。仕入れに3時間もかけて、自分でも履きやすいものを見つける。問屋さんに説教することもあるの」と、笑いながら話す。

 「朝の挨拶が一番大事、それが自分に対する元気づけ。心に張りを持たせる」と、現役バリバリの靴の地球屋の看板娘。77歳の花銀ママ。 

靴の地球屋

営業時間10:00~19:00(年中無休)
小樽市花園1-10-2
0134-22-5537