2004年1月のベストマスター
おたる政寿司

中村 全博(まさひろ)マスター

 小樽を“寿司の街”にした「寿司屋通り」の生みの親で、政寿司の2代目マスター。小樽生れ、稲穂小、菁園中から札幌の中島中に転校し、札幌南高に進み、テニスで鳴らした腕前は、インターハイの全道大会で2位に。青山学院大学に進んでからも、テニス部で、学業よりテニスに打込んだという。

 大卒後、渋谷の寿司店で2年間の寿司店修業。実家が小樽で寿司店を営んでいたが、その頃の寿司店は、医者と材木商とかの金のある人しか相手にせず、一般の人には近寄りがたいものだった。2代目として、家から呼び戻されたが、板前とのケンカが絶えなかったという。

 昭和49年の第1次オイルショックで、経営危機に陥り、昭和54年に古い板前とも決別し、当時年商分の7,000万円をかけて、店を改築。メニューのある大衆化路線へと、大きく舵を切る。

 しかし、昭和57年の第2次オイルショックで、売上も激減し、赤字に追われたという。板前との軋轢からブチ切れて手を上げてしまい、売上減にも見舞われたどうしようもない時に、「生長の家」に出会い、心の中の世界へ。

 そうすると波動が変わった。自分が変われば周囲も変わり、板前やオヤジとも和解し、新しい展開に。5店で「寿司屋通り」を結成。修学旅行の800人に、5店で手分けして対応。以降、添乗員らの口コミで、観光バスが溢れ、店に客が押し寄せるようになった。これで、小樽は寿司の街になり、札幌はラーメンの街になった。

 今までの小樽観光は、運河・ガラス・寿司が、三種の神器だったが、これからは物見観光は終りにし、小樽はやさしい心のある街に変わり、観光客が安らげる街にしなければならないと熱っぽく語る。

 小樽を代表する寿司店、年商18億円の政寿司のマスターというより、社長さん。昭和23年生まれ、55歳。

おたる政寿司

小樽市花園1-1-1(寿司屋通り)
0134-23-0011

お店のHP