藤崎 祐士マスター
和菓子の最中の種(皮)を製造する「藤崎最中種製造所」の2代目・藤崎祐士さん(52)は、父親が、昭和34年に開業した家業を継いで22年となる気さくな人柄の職人。
以前、10社以上あった市内の最中種の製造所も、現在は2社にまで減少。道内では、苫小牧市に1社あるだけで、貴重な製造所となった。
藤崎さんは小樽出身で、中学校ではサッカー部に所属し、活発で元気な少年だった。高校卒業後、他社の最中種製造所で働き、夜は札幌学院大学へ通った。25歳から30歳までは、石狩でサラリーマンを経験、30歳で家業を継ぐこととなった。現在は、4名の従業員と最中の種の製造に励んでいる。
最中の種の原料はもち米で、100%道内米を使用。道内各地の菓子屋から注文があり、様々な土地の特産物をモチーフにデザインした型が100個以上あり、注文にあわせて製造。
早い時は4:30頃から、通常は6:00から製造を開始。父から教わった伝統的な製法で、1枚1枚丁寧に作っている。
はじめに、もち米を洗米して、製粉機で粉状にする。その後、セイロで蒸し、石臼の餅つき器で餅をつく。つき上がったら、打粉をして2~3mmの厚さに素早く伸ばし、短冊状に切り、釜に載せ約2分かけて焼き上げる。自然に焦がした色の最中は、香ばしくて美味しいそうだ。
1回に4kgのもち米を使用、これを10回繰り返し、1日40kgのもち米で最中の種を製造している。工場には3台の焼き釜があり、火力はガスを使用し、夏場の作業場の室温は30℃以上にもなる。月曜日から金曜日まで製造を行い、休む間もなく、土曜日と日曜日は、配達や集金・営業に充てている。
仕事熱心な藤崎さんは、多彩な趣味の持ち主で、20歳から始めた登山と山スキーを現在も続け、富士山登山は3度、京極、喜茂別、倶知安、真狩から羊蹄山へ4往復する過酷な登山を楽しんでいる。
28歳で結婚し、新婚旅行でニューヨークマラソンに出場。その後、北海道マラソンは毎年出場している。サロマ湖100Kmウルトラマラソンにも3度出場経験があり、昨年、53kmでリタイヤした悔しさを、今年はリベンジするため出場を決めた。
だた登るだけの登山ではなく、過酷な富士山周辺を一周する「ウルトラトレイル・マウントフジ」に出場。累積標高9,600mに慣れるため、藻岩山を20往復してトレーニングした経験も。
登山の魅力を尋ねると、「途中あまり見られない景色を楽しみ、達成感が得られる」と答え、「今ではお菓子にもいろいろな種類があり、菓子屋が廃業するなど厳しい面もあるが、健康で仕事を続け、いつまでも登山を楽しみたい」と笑顔で話した。