戦火に散った347名 緑丘戦没者慰霊祭



 小樽商科大学(緑3・和田健夫学長)は、終戦記念日の8月15日(火)11:59から、同大構内の研究棟前の緑丘戦没者記念塔で、緑丘戦没者慰霊祭をしめやかに挙行した。
 白樺林に囲まれた記念塔は、同大学の名誉教授であった松尾正路氏の呼びかけで、1969(昭和44)年8月15日に完成。大学構内にある記念塔は珍しく、建立以後、毎年終戦記念日に慰霊祭が途絶えることなく行われ、今年で49回目となった。若くして尊い命を落した学生・教員347名の御霊が眠っている。
0815ryokukyu1.jpg 和田学長をはじめ、遺族・緑丘会会員・学生代表・大学職員ら約90名が出席し、12:00のサイレンを合図に黙祷を捧げ、戦没者の霊を慰め平和を誓った。
 和田学長は、「終戦72年を経てもなお、戦争の影響は消えることはない。未だに、国民や民族の間に憎しみ対立を残し、解決することのできない国家間の軋轢や外交問題に表れている。何世代にもわたって人々を苦しめる。
 1回目の慰霊祭において、当時の實方正雄学長は、この記念塔によって象徴された永遠の平和を追求することを、学園の最も貴重な遺産として、末永く守りぬいていきたいと述べた。私も同じ考えで、学生に寄り添い学生を大切にする大学であると強く願う。
0815ryokukyu2.jpg 我々の心は常に、異国の地で命を奪われた同窓とともにある。ここ緑丘を吹き抜ける風が彼らの声を運び、その声に耳を澄ませ、小樽商科大学は改めて、未来の平和が社会を築き、社会を支える若者に研鑽の機会を与え、世に送り続けることを誓う」と挨拶した。
 緑丘会・庄司俊雄小樽支部長は、「亡くなられた緑丘の諸先輩は、おそらく輝かしい未来を見つめていたことだろうと推察する。一番帰りたかったのは、ふるさとで待っている父と母の腕の中、そして、緑丘だったと信じている。
 世界中でテロが発生し、緊張感がみなぎっている。どんなに挑発されても、72年前の8月15日に、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、平和に徹するという言葉を永遠に忘れることなく、後世に仕えていくことが、私達残された者の使命であると確信している」と哀悼の意を捧げた。
0815ryokukyu3.jpg その後、遺族・緑丘会会員・学生・大学職員の順番で、白い菊の花を献花し、故人を偲んだ。
 記念塔には、347名の氏名が刻まれた墓石と、「戦の野に果つるとも 若き命 この丘にとヾまりて 消ゆることなし 友よ 安らかに眠れ」と書かれた碑石が納められている。
 グリー&カンタール8名ともに参拝者が、校歌1節と4節を歌い、緑丘に清らかな歌声が響いた。
 1982(昭和57)年卒業の札幌在住の女性は、父の戦死した同窓のために子どもの頃から父と一緒に来ていた思い出を語り、「若いこれからの将来のある学生の無念の思いを私達が背負い、平和を維持して生きることが使命」と話し、1979(昭和54)年卒業の札幌在住の女性は、「10年前から同窓会の手伝いを始め、慰霊祭に参加し大切な場所だと知り毎年来ている。今回は、いつもより学生も多く参加し、皆さんの気持ちが学生にも少しでも伝えられたらと思う」と話した。
 閉式後、遺族や同窓生が集まり、和やかに歓談した。
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