小林多喜二没後85年!命日に墓前祭



 小林多喜二祭実行委員会(寺井勝夫実行委員長)が主催し、小林多喜二(1903~1933)没後85年の多喜二祭が、2月18日(日)から20日(火)の日程で開かれた。参加者は、多喜二の生きた時代に思いを馳せ偲んだ。
takijisai1.jpg 2月20日の命日に合わせた墓前祭が、多喜二が眠る雪深い奥沢墓地で開かれ、同祭を締めくくった。
 道内外から多喜二を慕う110名が、深々と雪が降る中、実行委員らが前日につけた墓前までの一本路の雪に足を取られながら歩いた。周囲は雪ですっぽりと包まれ、多喜二の墓だけが綺麗に取り除かれ、肖像画も飾られた。
 この墓は、1930(昭和5)年に、多喜二が父のために建立。31年前から毎年、吹雪にも負けず墓前祭を続けている。
 多喜二は秋田生まれの小樽育ち。小樽高商(現小樽商科大学)で学ぶ。文芸雑誌に数多くの作品を投稿し文壇デビューを果たし、蟹工船などの名作を生んだ。
当時の治安維持法違反容疑で特高警察に逮捕されても、信念や思想・政治的立場を変えなかったため、29歳という若さで拷問によって虐殺された。
 墓前祭を前に、小樽商科大学・荻野富士夫特任教授が、墓を立てた経緯等を紹介。母が多喜二の骨を持って小樽に戻り、僧侶によって戒名も付けられたという。
 実行委員会を代表して琴坂禎子さんは、「命無き遺体を返したのはなぜかと、いつも考える。その結果、命は無くなっても、遺骨は母に抱かれ自らが立てた墓地に埋葬された。今日も大勢の皆さんが命日にお参りをしていただけた。多喜二の墓前に赤いカーネーションを手向け、決して憲法を変えさせない、戦争をする国にしないという誓いのひとときを過ごしてもらいたい」と挨拶した。
takijisai3.jpg 参加者は、順番に赤いカーネーションを墓に手向け、多喜二を偲んだ。
 その後、一行は、小樽商科大学付属図書館に移動して、荻野氏の案内で史料展示室を見学。多喜二が同大で学んだ頃について解説があった。当時の校舎のジオラマや、多喜二の学生時代をエピソードを交えて語られた。成績表や1924(大正13)年の卒業記念写真も展示されている。
 16:00から、同大・高橋純名誉教授が講師を務め、「多喜二とロマンロラン」について語った。
 福岡県久留米市の野田尚代さんは、墓前祭に参加して6回目となり、「多喜二の銀行時代の歴史をみると、普通の青年で親しみを感じる。今日は、沢山の方が墓前祭にみえた。戦争が始まる前の雰囲気があり、多喜二が生きた時代と重なり、もっと知りたい思いで来た。雪がある多喜二祭はとても良く、今後も参加を続けたい」と話した。
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