市立小樽美術館特別展関連 浅野氏講演会

 市立小樽美術館(色内1)で開催中の「北前船の華 北海道に渡った九谷焼(小樽・後志編)」は、小樽や余市を含めて後志地域に絞り、幕末から明治期の優れた九谷焼を観覧する特別展で、その関連事業として「鰊場で使われた九谷焼とその背景」についての講演会が、12月2日(水)16:00から同館1階研修室で開かれた。

 

 講師は、よいち水産博物館と余市町図書館の両館長で、余市町教育委員会社会教育課主幹、社会学が専門で、小樽学の連載やおたる案内人の講師も務めている浅野敏昭氏。

 

 2018(平成30)年3月に、九谷焼美術館から石狩・小樽・余市の調査があり、多くの九谷焼が見つかっている。

 

 今回の特別展で展示中の余市町関連の九谷焼は、同鰊番屋をはじめとした旧下ヨイチ運上屋に展示している物と、10年ぶりに公開した余市水産博物館所蔵品と併せ約38点を展示。

 

 同福原漁場は、1880(明治13)年創業で、同漁場最後の持ち主川内氏が、1981(昭和56)年に余市町に寄贈している。

 

 余市町における遺跡から出土する陶磁器を使用した人々や、鰊漁を担った人々、近世遺跡から出土する陶磁器、鰊場の年中行事、旧余市福原漁場(鰊番屋)で使われた九谷焼を取り巻く人々の背景について語った。

 

 鰊をとるために、お金に糸目はつけないほど盛大に、網子(あご)あわせ・網下ろし・網子別れなどの年中行事を行い、漁の無事と大漁、商売繁盛を祈願したことや、定置網の様子など、当時の写真などから説明。

 

 中村源兵衛町長の同家古文書「重要記事目録」から、1915(大正4)年2月15日付けの網下ろし前の準備についてや、1929(昭和4)年の小樽新聞から、胴上げのようすや網下ろしの祝いの席の様子が書かれていることを解説。

 

 1920(大正9)年に、余市町の鰊の漁獲高が67,495石(1石=生鰊換算750㎏)も獲れ、記録が残る明治20年以降の最高値だったことが分かり、鰊で儲け、盛大な宴会をすることで、大漁を祈願し、お金に糸目をいつけないことが大事だとされ、九谷焼も大量に購入し宴会で使用していたと思われる。

 

 幕末から大正にかけて鰊漁が好調で、盛大に行われる宴会で必要な器類の購入と補充は、鰊場の重要な仕事であったことが分かり、石狩・小樽・余市以外の北海道日本海側の地方にも九谷焼があるのか、九谷焼の豪華さは、親方の威信を示す財物だったのか、今後の調査で解き明かされる。

 

 12月26日(土)14:00からは、延期となっていた講演会「加賀の北前船主たちが活躍した小樽・後志」を、小樽商科大学グローカル戦略推進センター学術研究員・高野宏康氏を講師に招き行う。先着20名聴講無料。事前予約0134-34-0035。

 

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