<メールより> 小学校のスキー授業の記事について


小樽ジャーナル様
いつも拝見させていただいております。
この度の<メールより> 小学校のスキー授業の記事を見させていただきました
正直、何故このようなメール記事を掲載されたのでしょうか?
読んで率直な感想は、簡単に言ってしまえば 親も親だが、先生も先生だという事です。
まず親は、何故、学校もしくは先生に不満や不快感があるであれば、どうして直接学校に相談しないのでしょうか?
小樽ジャーナルにメールして訴えた所で、何が変わるのでしょうか?
子供は、大人と違い感受性が高く、ほとんどの子供が自分の感じたままを、周りに表現すると思います。
ただ、それが正しいか間違っているかは別です。そして間違っていれば正すのが親の役目だと思います。
あくまで、学校の先生とは、親の補助的な役割を担っていただいているだけです。
それが、今では一部の親が、親の役割を先生に押し付けるような考えを持っています。
不平・不満だけを言い、挙句には、子供が悪いことをしてゲンコツ一つ貰った位で、体罰だとか騒ぐ・・・。
正直、昔の自分を思い返して欲しいです。
自分の親に、「先生にゲンコツもらった」といえば逆に親に「何悪いことしたんだ」と怒られた人が多いと思います。
それが躾であり愛情だった。今思えば、良い思い出です。
子供が可愛いと思う心はどんな親にも当たり前に有るものだと思います。ただ躾があってこそ本当の愛情だと思います。
学校とは、今後始まる社会生活に必要なものを学ぶ所です。学問・協調性・一般常識等、段階を追って学ぶ所です。
「先生が」「誰々が」等、子供は、自分の持っていない・出来ないものを欲しがります。
今回で言えば、先生にだって理由が有ったかも知れませんし、考えが甘いのかも知れません。
ただ、親として子供には、人は人、自分は自分と言う けじめを躾けるべきであり、先生の事だけを不満に思い、
先生と直接話し合う事もなく、小樽ジャーナルに投稿する。そこに親の甘さが感じられます。
そして、先生についてですが、
今の先生の中には、先生としてではなく、仕事として働いていると考えている先生が増えていると感じています。
子供に、教えるのではなく、物を覚えさせる。そんな先生が増えたら正直悲しくなります。
上記に書いたように、学校とは何か?と教員免許を取ったときには学んだはずです。
それが、現場では、「事なかれ主義」 問題が起こらなければそれで良し。
仕事として問題が起こらないように 自己保身しか考えられなくなっている先生が多くなっていると思います。
それは、社会が「体罰」を問題視しすぎた、「保護者が先生にクレームを入れすぎ」のにも問題があると思います。
原因は先生に対する不信感から来ているのだと思います。
時に厳しく、怖い印象がある先生でも、子供にも親にも人気がある先生は昔から多かったと思います。
今でも、少ないですがいます。
何故、人気があったか?今思えば、人情味があったからだと思います。
小さな事でも、真剣になって話を聞いてくれて、一緒に考えてくれました。何でも生徒の輪の中で動いてくれていた
今考えると本当に有り難い事だったと思います。
今回に記事の保護者の方は、それを求めているのかも知れません。
でも、それは、直接先生と話し合わなければ、何も解決しないのではないでしょうか?
長々書いてしまい申し訳ございません。
どうしても、記事が目に留まり、感想をただ思うがまま書かせていただきました。
自分が決してすべて正しい考えがあるとは思いませんが、考え方は人それぞれ、記事の取り方も違います。
今回の記事は、問題定義であり、小樽ジャーナルさんは、そのままメール文を載せるのではなく、一つの問題として
取材し、それを記事にしていただきたかったです。
もし、取材が無理であれば、今回メール記事として載せるべきでは無かったのではと思います。
今回のメール記事は、掲示板等で話し合い色々な意見の中から投稿者が問題解決するのが筋ではないかと思います。
メール記事として載せるのは、小樽のエピソード位にとどめたほうが、見る側としては、気に障らないと思います
一つ提案ですが、小樽ジャーナルさんのHP上にBBS等を作ってみてはいかがでしょうか?
管理も大変かと思いますが、今回の記事のようなメールも多いのかと思います。
ある意味では、新しい小樽の発見があるかも知れません。
周りの小樽人の中では結構小樽ジャーナルさんを見ている方は、多いです。結構アクセスが多くなるのでは?と思います。
本当に長くなり申し訳ございません。
今後の小樽ジャーナルさんのご発展をお祈りして失礼いたします。